教育1
会社を立ち上げて、3年ほど経った1996年頃の話だ。
資金は足りず自転車操業の日々だったが、お金にならない仕事だけは時々来るのだった。
今だったら断ると思うが、当時はそれを断ると他にすることもないし、家賃すら払えなくなる。私はそんな仕事を喜んだフリをして受けていた。
ただ、人手は足りなかった。1人でその仕事をしていては営業に出かけることができない。
だからバイトを探さなくてはいけなかった。バイトを探さなくてはいけないがお金がない。困った挙句に、会社の前に張り紙をした。
【急募 バイト】時給700円(ただし、パソコンを教えます)
お金は出せないが、その代わりに知識を提供しようというのだ。
当時の東京都の最低賃金を調べると、時給664円となっている。どうやら法には触れていなかったようだが、周囲の飲食店などは900~1,000円ぐらいだった記憶がある。
数日後、営業から戻ると若い女の子が張り紙を見て立ち尽くしている。
後ろから声を掛けると、その子は飛び上がるように驚いた。私は「他にも何人か女の子のバイトがいるから、見ていきませんか?」と声を掛けた。
その子は誘拐犯を見るような目でじっと私を見ていたが、少しして落ち着いたのか、小さな声で「はい」と答えた。
この女性は19歳、家族で熊本から上京し、ちょうどバイトを探していたという。
パソコンを習いたいと思っていたようで、それだったらちょうどいいと、話はトントン拍子で決まった。
エクセル、ワード、他にもパソコンの仕組みを教えるために一旦バラバラにしたパソコンの組み立てなども行った。ハード的なことを教えないと買ったパソコンを家で接続できなかったりするため、広く浅く徹底的に教えていった。
その子は、数年後にサポートデスクを取り仕切る立派な社員へと成長した。
私は学生時代、塾講師のバイトをやっていた。
その塾は北海道一大きな学習塾で、創業から10年で東証一部に上場した立派なベンチャー企業でもあった。
その塾は教え方に関してとても高度な仕組みを持っていて、私はそこで「教え方」を教わったのだ。
授業のない日は家庭教師もやっていた。卒業までに20名近い高校生を教えたが、記憶の限りでは全員を第一志望校に入学させた。
そう、私は教えることが得意であり、それは私の特技なのだ。私はビジネスを行う上で、この特技をもっとうまく使おうと決意した。
会社は有名ではない。
待遇も良くはない、福利厚生も十分ではない。
ただし、何でも教えてあげることができる。
それがこの会社に入る人の“特典”というわけだ。
ただし、会社はどんどん大きくなっていく予定だ。(私はこの頃から自分の会社はどんどん大きくなると真剣に考えていた、それはもちろん周りの失笑を買っていたが)教えるのが私1人ではやがて限界が来る。
そこで、最初の1人目(今でもデザイン部で活躍している)に私はこう言った。
「私は、君になんでも教えてあげます。しかし、その代わりに続いて入ってくる人にはあなたが教えてあげてください。そしてその人にも同じように、何でも教えるから続く人にも教えるようにと話してください」
彼女は二つ返事で同意してくれた。
こうして、“教育”はラクーンの重要な社風の1つになっていった。
バイトは少しずつ増えていった。
しかし、男子が来ない。それも正社員を希望する男子は、全く現れなかった。
自分はこんなに志も高いし、夢も希望もある。それにも関わらず男子が来ない。
時代は男女平等なのに、その行動や思考に違いがあるのだろうか?
それとも男子女子に拘るべきではないのか?
それでもやはり同性である男子が欲しいと思うようになっていた。
そこで、この現状を打開するために志の高い男性が入りたくなるようにしようと考えた。
教える仕組みはうまく行き始めていたので、今度は独立心を理解・応援するような教育方針を広くアピールしようと考えたのだ。
ちなみにこれは今から20年近くも前の話だ。もし今の時代に独立心を応援する方針をアピールしたら、むしろ女子が集まるかもしれない。
どのようにしたのかは次回に続く。