しない方がいい努力もある
私は1992年から1年間北京に留学していた。そこには世界各国から大勢の外国人が中国の言葉と文化を勉強しに来ていた。そんなある日、1人の外国人留学生から「資本主義ってどうだ?」と質問された。
私は返答に窮した。
資本主義って我々日本人、特に戦後生まれの私にとっては空気のように当たり前すぎて、あえてそれがどんなものかを考えたことがない。私は「努力したら努力した分だけ、幸せになれる、まあいい仕組みだと思うよ」と回答したが、相手が納得したようには見えなかった。しかし、それ以上の議論にはならなかった。
さて、それから20年以上が経つ。私も経営者として色々な経験をした。もしも今、20年前と同じように「資本主義ってどうだ?」と質問をされたら、私はなんと答えるだろう?同じようには答えないだろう。
「努力したら努力しただけ、幸せになれる」は事実ではないからである。言い方を変えると、成功者の大抵は努力した過去を持つが、努力した人がその量に比例して成功するかというと必ずしもその傾向を感じないということだ。
資本主義の正確な定義に関しては専門家に任せるとして、私の個人的な勝手な解釈は「よいものを作れば、よく売れる。豊かになりたい人が勝手にいいものを作ったり、売ったりするから世の中は良くなっていく」といったところだろうか。
ここで、つい見逃しがちなのが、「でも、近くにもっといいものを作っている人がいたらどうなるか」ということだ。
どんなにおいしいラーメンを作っても、隣にもっとおいしいラーメン屋があったら、それは売れないのだ。逆に、おいしくないラーメンでも周辺にライバルがいなければそれは売れることになる。
(実際の経済はもう少し複雑だが、ここでは話しを簡単にする)
一般社員がたくさん働いて努力する習慣を持つのは悪いことではないが、全員の未来を預かる立場にある経営者が、その考えでは誰も早く帰ることも休暇を取ることも出来ない。経営者は、出来るだけ少ない予算(もしくは時間)で、より高い利益を出すことを目指している。そこには「しない方がいい努力」も存在するのだ。
近隣にライバルがいないからといって、適当なラーメンを作るような商売は勧められないが、類似したサービスが多いマーケット、もしくは参入障壁が低いビジネスを選べば必要以上に苦労することとなる。
最初は、マーケットは大きいがまだ誰も気が付いていない、しかし必要とされるサービスを見つけ、そこに集まった仲間達と専門性を高め、簡単に他社が真似できないようにサービスの内容をどんどん進化させていく。
その進化のスピードがしっかりしていればライバルは永遠に二番手であり、名脇役を演じてくれるに違いない。